朝、目が覚めるとなぜか泣いている。
こういうことが私には、時々ある。
そして、
見ていたはずの夢は、
いつも思い出せない。
観ましたよ。
もともとRADWINPSが大好物だったから、観に行くつもりでした。
そこで、いつものように、まずサントラを手に入れて聴いたところ、#スパークルの「うつくしく、もがくよ」というフレーズを聴いて、今の自分とオーバーラップして号泣。
「いい映画は音楽もいい」という持論を持っている私は、「絶対に何があってもどんなトラブルに見舞われても観に行くぞ!」と思い極め、家族全員のスケジュールを調整。
家族全員で観にいきました。
感動して、すぐさま小説版を購入、いつものようにあとがきや解説から読み出したのですが、本編を読む前に号泣。
解説で泣いたのは生まれて始めてです。

もし、まだ未見の方がいらっしゃったらいけないので、できるだけネタバレのないように紹介したいと思いますが、ほんと、できるだけ情報を仕入れない状態で観に行かれることをお勧めします。
前もってネタバレしてから観るのは、本当にもったいない!

「君の名は。」のストーリー:「・・・お姉ちゃん、ほんとに自分のおっぱい好きやな」
東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと飛騨の山奥にある糸守町の女子高生・宮水三葉になっていた。
そして、三葉は瀧の身体に。
2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、周囲の人達の反応や、その後もたびたび「入れ替わり」が起きたことによって、ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。
2人はスマートフォンのメモを通してやりとりをし、入れ替わっている間のルールを決め、元の身体に戻ったあと困らないよう日記を残すことにした。
性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには多々困難がありながらも、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
しかし、その入れ替わりは突然途絶えてしまう。
二人の特別なつながりを感じた瀧は、三葉に逢いに行こうと決意する。
しかし、辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた。

「君の名は。」のサイドストーリー:「三葉、逃げろ!三葉、逃げろ、逃げてくれ!三葉、三葉、三葉!」

はい。
新海誠監督は、この作品を、「子供から大人まで多くの観客に楽しんでいただける映画を目指して」作ったと語ってありますが、一番心の琴線を弾かれるのは、かけがえの無い大切な誰かを失った経験のある人だと、私は思います。
例えば、大切な人が不慮の事故で亡くなったとか、震災で亡くしたとか・・・。
こうなることが分かっていたら、こうするんだった。
ああするんだった。
伝えておけばよかった。
明日でいいか、なんて思わなければよかった。
次の機会なんか来なかった。
当たり前に明日が来ると思っていたのに・・・変わらぬ明日って、ちっとも当たり前なんかじゃないんですよね。
当たり前の日常って、いつ突然終わりが来るのか、それは誰にも分かりません。
でも、そういうことがいつ来てもおかしくない。
そのことを心底知っている人の琴線が一番弾かれたんじゃないかと思います。


こんな最後になるなんて・・・もう一度、昨日に戻れたら、もう一度、今朝に戻れたら、あの日に戻れたら、決してもう二度と手を放すもんか!運命とやらの手が届かないところまで連れて逃げるのに!
その思いを、瀧達が私達の代りに叶えてくれます。

物語が進むにつれ、瀧達と一体化していた私達の心(大切な人を亡くした二度と取り返しのつかない、埋められない喪失感と癒えること無い痛みと、何か出来ることがあったんじゃないかという罪悪感)は、糸守町のみんなと共に救われるのです。
誰もが心から夢見て、誰もが見たかった物語。

だから、「君の名は。」は、これほどヒットしたのだと思います。
この映画を劇場スクリーンで誰からも邪魔されること無く家族で観る事ができる幸運を味わうことが出来て、本当に幸福だと私は思いながらエンドロールをながめていました。
小説もお勧めですが、特に「君の名は。 Another Side: Earthbound」は、本編で描かれなかった、同じ時間軸で起こっていた出来事や心情などを、瀧、勅使河原、四葉、俊樹の視点から描いたもので、これを読むと本編の深みが増します。
特に、最後の俊樹と三葉、四葉の母、二葉の物語は、読んでいて人目もはばからず泣いてしまいました。(福岡市営地下鉄で一緒に乗り合わせた皆さん、お騒がせしました)
これを読んで、もしかして#スパークルは俊樹と二葉のこともオーバーラップして歌っているのかしら?と思いました。
私は、もう一度、劇場公開が終わったら、「君の名は。」のことを書こうと思います。
>どうでもいいけどさん
コメントありがとうございます。
・・・と、いつもなら書くところですが、この作品にだけは、そして、今だけは、毒を吐かれると我慢ならん。
拙ブログの記事を読んで不快な思いをしたのなら、その不快の原因は貴殿の中にあって、拙ブログの記事は、ただそのきっかけになっただけで、ここに毒を吐いても貴殿の不快な思いは更に増すだけだから・・・って言っても分からないでしゅね。
不愉快な思いをするブログで毒を吐く自由もあるけど、二度と観ないという自由もあるんだから。
二度と来なければいい。
それをお勧めしますよ。