2015年01月18日

ジャック・ケネディ〜その二(越えられない兄という壁)





アイルランド系カトリック教徒で


最初の合衆国大統領になるつもりだ。






父が先にならなければ、だけどね。











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ジョゼフ・パトリック・ケネディ・ジュニア










冒頭の言葉は、ジャックの兄であり、ジョゼフ=ジョー・ケネディの長男であるケネディ家の正当な王位継承者として父の名を受け継いだヤング・ジョーことジョゼフ・パトリック・ケネディ・ジュニアが学生時代、友人に話していた言葉です。

自らの名を付け、生まれた直後から、ハーバード大学に通い、ボストン市長かマサチューセッツ州知事になり、末は大統領にするという筋書きを描いたジョー・ケネディは、学業成績も優秀、運動も得意で健康な長男ヤング・ジョーに特別な愛情をたっぷりと注ぎました。




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ヤング・ジョーとジャックを抱くジョー



一方で次男ジャックはというと・・・





(ジャックは)私に無視されたと感じていたのかも・・・病気がちだっただけに、もっと面倒を看てあげなければいけなかったのでしょう



と、のちに回想録の中で母ローズが述懐している通り、ジャックは三歳の誕生日前に当時ボストンで流行していた猩紅熱水疱瘡おたふく風邪に罹りました。

そして、更には原因不明の症状、全身が熱っぽく、だるさを感じ、慢性の下痢と胃痛、腹痛を伴い体重も減少していきました。

この頃は、ちょうど夫婦の関係が冷え込んでいく中、母親ローズが子育てや家庭を顧みなくなっていっていた時期で、3週間ほど実家に戻ったり、一流デザイナーの衣服のショッピングに興じたり、突然カリフォルニアに旅立ち6週間帰ってこなかったり、ということもありました。

もしかすると、この症状も、そういった環境の中で精神的なSOS発信であったのかも知れません。






家庭を顧みず仕事に打ち込む父親と、メイドにすべて任せて旅行などで留守がちな母親。

そんな家の中で、長男ヤング・ジョーはすべてを取り仕切るだけの権限を持っていました。



めったにいない父親に代わって、一家の手本として弟や妹を時には励まし、時には厳しくしつけ、父権を行使することは、ヤング・ジョーにとって権利でもあり義務でもあったことでしょう。

実際にケネディ家の末の二人の子ども達、ジーンとテディ(エドワード・ケネディ)の名付け親は彼でした。



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幼きヤング・ジョーとジャック



ヤング・ジョーと二歳しか違わないジャックは、他の兄弟のようにはもちろん捉えることはできなかったでしょう。

年齢の近い兄弟を持つ、どこの家庭でもしばしば見られるように、ジャックにとってヤング・ジョーは、一番の身近なライバルであり、辛いことに絶対に負かして追い抜くことの出来ない存在でした。

「必要なのは勝利者だ。負け犬はケネディ家にはいらない」とか「二番は意味がない。勝つことだけに意味がある」と常々口にする父ジョゼフと共に母ローズも、どちらかというとあらゆる競争を好ましいものとみていた家風なので、ジャックの自尊感情はかなり傷つけられていたのではないでしょうか?

もっとも、学業優秀で運動も得意でスポーツマンの兄と、病弱虚弱で勉学も好きではない自分というまるでライバルとして釣り合いの取れない立場は、かえって彼の気持ちを楽にしていたのかも知れません。




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前列地面に座っている三人の右端がジャック、その上イスに座っている7人の左から三人目がヤング・ジョー



それでも、兄の辿った道を、ジャックも忠実になぞるように辿ることを求められました。

ヤング・ジョーと同様、ブルックラインのノーブル・アンド・グリノー校から、カトリック系の予備校キャンベタリーを経て、チョート校(現:チョート・ローズマリー校)へと進みました。



この頃も、医者が原因を突き止められなかった体調不良(下痢と倦怠感)は頻繁に彼を襲っていました。

体調不良を理由にベッドの上で過ごすことの多くなった病弱なジャックに、父親が期待を寄せることはなく、そんな父の陰性感情は、敏感にジャックに伝わり、常に「自分は必要がない人間だ」「捨てられても仕方がない」などの寂しい思いを描いていたことでしょう。

そんなジャックの気持ちを紛らわしてくれていたのが、読書でした。




卒業前年の夏休みに、原因不明の発疹と喉頭炎が原因で一ヶ月入院しますが、この時のジャックは身長が180cmであったのに対し、体重は50キロほどしかありませんでした。

入院中ジャックは親しい友人に出した手紙で・・・






・・・俺の腹は機能するのを完全にやめたみたいだ。(1934年6月19日)



チキショウ、俺の腸は何か変だ。小便が血だらけだ・・・3日間で18回の浣腸だ!(同年7月4日)







・・・と書いています。



これまでは、どれだけ倦怠感があっても、体調がどれほど不調でも、いつかは治るのではないかと希望を持つことは出来たでしょうが、激減する体重と血尿を経験し、首を振る医師の姿を見て、この頃のジャックは、恐らく「死」を強く意識したのではないでしょうか?



それでも、何とか最悪の状態を脱したジャックは、チョート校の最終学年に、定期的に血液検査を受けるという条件付ではありますが、戻ることが出来ました。



兄のヤング・ジョーが、チョート校の傑出した最上級生としてハーバード・トロフィーを獲得するほどでしたが、ジャックの方はというと、健康と学業と同じように素行にも大いに問題があったようで、校長先生直々に規則違反を繰り返す者という意味の「モッカー(mucker)」というあだ名を付けられるほどでした。

ジャックは親友のビリングズと、これを皮肉って「モッカーズ」というクラブを結成し、仲間を募ったりしましたが、これを受けて校長は自分が揶揄されたと、ただちにメンバーである13人の「人間の屑(モッカー)」達を放校処分にしました。

校長は父ジョーに手紙を出し「ヤング・ジョーとジャックは、兄弟でありながら、なぜこうも違うのか?」と嘆いたそうです。

手紙を受け取った父ジョーは、ジャックを復学させるためにすぐさまチョート校に駆けつけました。



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モッカーズ(右端がジャック)




校長との面会を終えた父に、今度こそ見捨てられるのではないかと覚悟していたであろうジャックは、予想外の父親の反応に、びっくりしました。

ジョーは、病弱で何事にも消極的で本の虫だと思っていたジャックが、自主性を持ち、仲間をまとめる指導力を発揮したと喜んで褒め、逆に細かい校則を無理に押し付けようとしたと学校側の対応を批判しました。



なんと、まったく期待されていないと思い込んでいた仕事一筋の父が、生まれて初めてジャックのために、遠路はるばる駆けつけて、しかも彼の味方をし、彼の行動を評価したのです。



ジャックの心で何かのスイッチが入ったようで、この時から学校でのジャックの態度は豹変し、チョート校を卒業する時も、成績は110人中65番ではありましたが、「将来一番大物になりそうな仲間」という卒業生同士のアンケートでは、最多の票を獲得して一位に選ばれるという名誉を受けました。



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卒業時のジャック






つづきます。

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2015年01月15日

ジャック・ケネディ〜その一(その父、祖父、曽祖父)





天が下のすべて事には季節があり、


すべてのわざには時がある。





生まるるに時があり、


死ぬるに時があり、





植えるに時があり、


植えたものを抜くに時があり、





殺すに時があり、


いやすに時があり、





こわすに時があり、


建てるに時があり、





泣くに時があり、


笑うに時があり、





悲しむに時があり、


踊るに時があり、





石を投げるに時があり、


石を集めるに時があり、





抱くに時があり、

抱くことをやめるに時があり、





捜すに時があり、


失うに時があり、





保つに時があり、


捨てるに時があり、





裂くに時があり、


縫うに時があり、





黙るに時があり、


語るに時があり、





愛するに時があり、


憎むに時があり、





戦うに時があり、


和らぐに時がある。












旧約聖書伝道の書第三章





暗殺された日ほど有名でないジャック・ケネディの誕生日は、1917年5月29日。

ジョゼフ・パトリック・ケネディとローズ夫妻の二番目の男子としてボストン郊外のブルックラインで生まれました。



ジャックは、アイルランド系カトリック教徒移民の、四代目の子孫でした。

彼の曽祖父であるアメリカの最初のケネディである、パトリックがボストンにやって来たのは1849年、26歳の時でした。



アイルランドは言わずと知れたカトリックの国で、ヨーロッパの西北の果てという地理的条件も重なり、厳格なローマ・カトリックが色濃く残る数少ない地域のひとつです。

イギリスの侵略・支配を受けていたアイルランドは、イギリスの国教会(プロテスタント)から厳しい宗教的迫害を受け、数多くのアイルランドのカトリック教徒が命を落としていきました。

これらの迫害とジャガイモの大凶作に起因する飢餓から逃れるために、1815年と1845年の間に100万人のアイルランド人達が新大陸を目指したと言われています。





当時のパトリック青年も、そうした無名のアイリッシュ移民の一人だったわけですが、他のアイリッシュ移民とは多少事情が違って、パトリックは裕福な農家の三男坊で、どちらかというとケネディ家の男の気質とも言えるフロンティア精神、つまり、野心と冒険心がより強く働いてのことだったようです。

そして、これもケネディ家の男の気質からか、渡米中の船で知り合った同じ州出身の娘、ブリジェット・マーフィーと上陸後さっさと結婚します。




出身は裕福でも、移民たちの暮らしは決して恵まれたものではなく、その多くは貧民窟に押し込まれ事故や病気で若死にする者ばかりでした。

ボストンを長らく支配してきたイギリス系でカトリックを忌み嫌う「ブラーミン」と呼ばれる紳士達から、自分たちのお膝元に殺到するアイリッシュに対しては、徹底的に差別され、最下層の人間として扱われ、一日15時間、週7日働いて、やっと食べていけるだけの賃金しか与えられず、コレラや天然痘に怯えて暮すしかありませんでした。

パトリックも、その例に漏れず、1858年11月22日35歳の時にコレラで亡くなりました。

奇しくも、曾孫に当たるジャックが暗殺されたのも、約一世紀時を隔てた同じ日付1963年11月22日でした。





パトリックが亡くなる10ヶ月前に、この世に誕生した彼の長男パトリック・ジョゼフが、彼の遺志を継いで、22歳の若さで酒場を経営するまでになっていました。

幼い頃は、パトリックの息子(パットのジュニア)、長じて「P・J」と呼ばれた彼は、政治に興味を持っていました。

パトリックが亡くなる前年に始まった南北戦争を契機に、ブラーミンがリンカーンの政党である共和党を支持したため、彼らに反発していたアイリッシュは自然民主党を支持することになりました。そして、ブラーミンの陰湿で徹底した差別に対抗するために、民族的団結心から、彼らの政治力と民主党に対する忠誠心は急速に堅固なものになっていきました。


P・Jは、20台の若さでボストンがあるマサチューセッツ州の州議会下院議員に選出され、以後5回の当選を果たします。そして、成功したアイリッシュで(明らかにケネディ家よりも格上で)あるヒッキー家の娘メアリーと結婚し社会的身分と二男二女にも恵まれ、後に州議会を離れ、市政に関わり、消防、道路、選挙管理などの委員長を歴任して東ボストン地区を支配する実力者となりました。




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P・J(パトリック・ジョゼフ・ケネディ)


ボストン政治勢力の中枢機関である戦略委員会のメンバーの一人となったP・Jの、メンバーの中で気が合わないと感じていたライバルの名は、ジョン・フランシス・フィッツジェラルドといいました。

この名前から、ピンと来た方もいらっしゃると思いますが、このジョンが、ジャック=ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ=JFKのもう一人の祖父になる人物でした。

つまり、P・Jの長男は、父親のライバルの娘を妻に選んだのです。




ジョン・F・フィッツジェラルドは、現役時代は「フィッツイー」と呼ばれ、1905年ボストン市長に選ばれました。

彼は、その絶頂期である1916年に上院議員に立候補しましたが、ブラーミンのの代表でもあるヘンリー・カボット・ロッジ(ぜひ、この名前は覚えて置いてください!)に破れ、それから政界を退いた後は「ハニー・フィッツ」というやや感傷的な愛称で親しまれていました。



政界を離れ、失意の中ハニー・フィッツを一番元気付けたのは、長女ローズと最大のライバルP・Jの長男ジョゼフとの結婚によって、ケネディ家とフィッツジェラルド家という二つの“一流のアイリッシュ”家族が結びついたことだったでしょう。

花婿であるジョゼフ・ケネディ(ジャックの父親)は、若くしてすでに際立った才能を発揮していたからです。




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ジョゼフ・ケネディ=ジョー


ジョゼフ・ケネディは、P・Jの長男として1888年に生まれ、アイリッシュとしてではなく、むしろブラーミンの一因になるべく、カトリックではなくプロテスタントの協会が運営する学校に入り、伝統的なボストン・ラテンで教育を受け、ハーバード大学に進み、25歳でアメリカで最も若い銀行頭取になりました。




ジョゼフとロースの出逢いは早く、ジョゼフが大学に進学する頃には互いに特別な存在だと認識しており、ジョゼフ26歳、ローズ24歳の時に二人は結婚します。



二人は、アイリッシュ的大家族主義を実践し、四男五女の子宝に恵まれました。

結婚の翌年夏には長男が生まれました。

この長男の名前は、前ボストン市長でもあり、名士のハニー・フィッツの名前に因んだものになるだろうという周囲の予測を裏切り、ジョゼフは躊躇せず、その子に自分の名前を与え、ジョゼフ・パトリック・ケネディ・ジュニアと名づけました。

そして、1917年5月29日に生まれた次男に、ようやく義父への敬意を表してジョン・フィッツジェラルド・ケネディと名づけました。



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幼きヤング・ジョーを抱くジョー


ジョゼフは、自身と同じく優秀でスポーツマンでもある、自身の野心の正当なる後継者である長男ジョゼフ・ジュニア=ヤング・ジョーに、惜しみなく愛情を傾けることになります。


どちらかというと幼少期から身体が弱く、原因不明の体調不良から学校も休みがちで、ほとんどを家で読書しながら過ごす病弱な次男ジョン=ジャックは、自然名前の由来でもあるハニー・フィッツと行動を共にすることが増えていきました。

ジャックはよくハニー・フィッツに連れられ、政治集会に出かけたそうです。


ある時、ハニー・フィッツは壇上で、孫のジャックを抱き上げ、聴衆に「これが私の孫です。世界一の孫ですよ」と言ったそうです。その時ジャックはすかさず「ぼくのおじいちゃんは世界一のおじいちゃんだよ」と答え、聴取はそんな二人に大喝采をおくったということです。

将来大統領になるジャックは、生涯最初の演説から聴衆の大喝采で迎えられていたようですね。


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母方の祖父ハニー・フィッツとジャック




つづきます。









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ジャック・ケネディ〜その前口上






ジョン・ケネディは、



どのように死んだかということよりも、



どのようにして生きたかによって



記憶されねばならない













セオドア・C“テッド”ソレンセン







1963年11月22日に暗殺された第35代アメリカ大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディを惜しむ声は、50年以上たった今も根強く、未だに「ケネディ神話」とか「ケネディ王朝」という言葉があります。

言うまでもなく、アメリカ合衆国はキリスト教を一番信じている国民の多いキリスト教国で、日本のように死んだら「仏さん」と呼んだり、古くは菅原道真、秀吉、徳川家康などの英雄を神格化する文化はなく、また、民主主義国家の旗頭として国の成り立ちから王政を引いたことは一度もありません。

そんなアメリカで、こういう言葉が語り継がれているということは、ケネディという存在が非常に特異な存在で、また期待や希望を持って人々から受け入れられていることの証拠と言えるでしょう。



では、実際に大統領として、それだけの功績を残したのかというと、実際はほとんどありません。

何もかもが途中だった。

しかし、もし、暗殺されずに生きていたら、きっと色々なことを成し遂げたであろう。

そういう期待を持たせる存在だった。

という意見もあります。





暗殺事件がセンセーショナルなことなので、我々もそちらにばかり眼を囚われてしまいますが、様々な憶測や噂レベルのエピソードが作り上げる偶像ではなく、冷静な目で一人の人間の一生としてケネディの人生を追うことで、あらためて彼の実像を発見し、そのことから政治に期待できなくなっている現代の我々に多くの学びが得られるのではないかと思い、「ジャック・ケネディ考」というカテゴリを作って、これから何回かに分けて、ジャックの人生を紐解いていこうと思います。



・・・と難しいことを書いちゃいましたが、ジャックの幼少期から彼の人生を追うことで、私が何で彼に入れ込んでいるかをお伝えできたら、という思いと、私自身リタイアした後のライフワークのひとつにケネディの研究を考えているので、その準備として備忘録的に進めていければ、と考えています。



興味のある方も、そうでない方にも楽しんでいただけたら幸いです。




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ジャックとボビー



あ、あと、同時に「ボビー・ケネディ考」というカテゴリも作りました。

実際は被る部分が多いので、うまく機能するかどうか分かりませんが、先ほど述べた「ケネディ神話」や「ケネディ王朝」は、ジャック一人では絶対に成立しませんでした。

ジャックとボビー、二人の二人三脚的な政治活動、そして、ジャックの暗殺後のボビーの孤独な戦いがあってこそ成立したと思うのです。

その辺りのことも、しっかり書いていけたら、と思います。










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