2016年05月05日

ドロシー・キルガレン Dorothy Mae Kilgallen





米国が外部から滅ぼされることは決してない。



もし我々が行き詰まり、

自由を失うことがあるとすれば、

それは我々が自分自身を滅したからだ。








【エイブラハム・リンカーン】








ケネディ暗殺事件に関しては、前から言っていた通り、リタイアしてから調べようと思っていますが、今の内から少しずつ情報を集め始めようと思っているので、これからもケネディ関連の記事が少しずつ増えていくと思います。

で、今回は、有名なケネディ事件の目撃者や関係者が次々と不振な死を遂げていることから、口封じじゃないか?と言われていますが、そこらあたりも一人一人調べていきましょうかということで、「消された?関係者」というカテゴリをこさえてみました。

まずは、以前書いたウォーレン委員会の一員でもあったヘイル・ボッグスをカテゴリに加えて、その第二弾ということで、日本にいても結構情報が集まりやすいんではなかろうかというハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも名前が刻まれるほどの有名人、ドロシー・キルガレンについてアップしようかと思います。

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・・・ということで、調べ始めたのは良いのですが、全然日本語で探せる情報がほとんどなく、また、私自身は全然英語ができないので、かなり苦戦しました。



何とかまとめた情報ですので、間違いや勘違いもあるかもしれませんが、そのあたりは生暖かい目で見守っていただけると幸いです(笑)




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ドロシー・キルガレン(Dorothy Mae Kilgallen)

1913年7月生まれ。

彼女は、有名なジャーナリストであり、ラジオの長寿番組のDJであり、お茶の間に人気のTV番組「What's MY LINE?」のレギュラーパネリストとして、アメリカでは誰でも知っているような有名人でした。



彼女は、ジャーナリストである前に、マリリン・モンローと個人的な親友でもあったため、モンローの相談相手として、ケネディ大統領との関係についての相談(モンローとケネディは付き合っていたといわれています)を受けていたこともあり、モンローの死に不信感を抱き、個人的に調べていました。

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その後、JFKが暗殺され、その事件を調査したウォーレン委員会の調査報告書に疑問を抱き、公式な暗殺実行犯オズワルドを射殺したジャック・ルビーにインタビューした唯一のジャーナリストと言われています。

「ケネディ暗殺事件の謎が解けてきた」と親しい友人に漏らしていた矢先の1965年11月7日、薬の過剰摂取が原因で死亡してしまいました。

自殺とも事故とも言われましたが、事実は解明されないまま現在に至ります。






さて、このキルガレンの死について、謀殺ではないか?という声が当時からあがっていました。

彼女は、ゴシップも書いていましたが、もともと政治や組織犯罪専門のジャーナリストで、有名なところでは、映画やTVシリーズの「逃亡者」のモデルとなったサム・シェパード事件やキューバのフィデル・カストロ暗殺計画を追っていました。

また、UFO問題についても多くの記事を残しているので、トンデモ扱いされることもありますが、その姿勢は基本的には論理実証主義にもとづいたものでした。



JFK暗殺事件後は、ウォーレン報告の内容に対する疑問や、暗殺事件の目撃者に対するFBIからの脅迫に関して新聞に記事を書き、独自に調査を始めました。




例えば、ダラス警察署の事件当日の無線記録を分刻みで記録する為、当時の警察署長ジェシー・カリーから記録を手に入れていました。

また、暗殺事件の8日前にジャック・ルビーとJ・D・ティピット(ダラス署の警察官で暗殺当日何者かから射殺され、オズワルドの逮捕容疑はこのティピット射殺容疑だった)とバーナード・ワイズマン(現在はH.L.ハントの別名だと判明していますが、当時はまだ判明していなかった)が、カルーセルクラブでミーティングを持っていたこと。また1964年9月に、ティピット殺害事件の目撃者で、犯人は二人組でオズワルドとは似ても似つかない別人だったとダラス署の警官に証言して、「その証言をすると危険だ」と警告を受けていた女性(彼女はウォーレン委員会から証言を求められなかった)からの証言を得たりしていました。





そして、JFK暗殺犯と目されたリー・ハーベイ・オズワルドを射殺して刑務所にいたジャック・ルビーへの単独取材を行った唯一のジャーナリストだったことから、JFK暗殺の黒幕から目をつけられていたのではないかということなのです。

さらに、1965年10月にニューオーリンズで、新しい有力情報を得たと暗殺の研究家で弁護士でもあるマーク・レーンに話しており、11月7日、「5〜6日で、この事件について公表するつもり」だと友人に告げて、これも友人であるアール・E・T・スミス(元駐キューバ大使)夫人(フローレンス・プリチェット・スミス)に、自身で調べた暗殺に関する資料のコピーを渡し、翌8日早朝彼女は自分の自宅で死体で発見されました。

死因は、アルコールとバルビタール(睡眠薬)の過剰摂取でした。

彼女の夫が浮気していたことが判明していて、彼女が悩んでいたという証言もあり、また、争った後も暴れた痕跡も無い為、自殺だと断定され、今日に至ります。




ここまで見ると、何も謎は無いように感じるかもしれません。

しかし、実際はおかしなことがたくさんありました。




まず、ドロシーが亡くなったのは、1965年11月7日に人気TV番組「WHAT'S MY LINE!?」の収録を終えた数時間後のことなのですが・・・



まずは、その回の動画でドロシーの様子をご覧下さい。
posted by 大塚陽一 at 17:34 | Comment(0) | TrackBack(0) |     ・消された?関係者

2008年10月16日

ヘイル・ボッグズ:Hale Boggs


ミッチェル(当時の司法長官)は、



法と秩序の信奉者を自認している。





 しかし、その法と秩序が、



 基本的人権を抑圧し、



 個人の自由を剥奪するようなものであるならば、



 私には



神よ、我々を助け給え



という他に言うべき言葉がない







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                  【ヘイル・ボッグズ】









ヘイル・ボッグズ(トーマス・ヘイル・ボッグス、シニア:Thomas Hale Boggs, Sr.)は、大塚が政治家として尊敬する一人です。





そして、本日10月16日は、そのボッグズが遭難消失した日であります。



遭難消失という表現が適当なものかどうかは、分かりませんが、1972年の今日、下院院内総務だったボッグズの乗った飛行機が南東アラスカのチュガッチ山脈付近で消息を絶ちました。



空軍偵察機に沿岸警備隊のヘリコプターや、多くの民間航空機が投入され、家族も加わっての懸命な捜索にもかかわらず、機体はおろかボッグズの遺体も発見されませんでした。



遭難から39日目に捜索は打ち切られ、ボッグズは推定死亡とされました。










さて、このボッグズ、下院院内総務だったからと言って、あまり馴染みのある方ではないと思います。



ご存知の方も、記憶にある名前だったとしても、何か聴いたことある名前だけど、誰だったっけ?という方がほとんどだと思いますが、かのJFK暗殺の調査委員会である、ウォーレン委員会の一員で、しかも、ただ独り最後まで委員会の結論に疑問を呈していた人で、しかも、FBIからの報告書はすべて出鱈目であると主張していた人と言えば、「あ!」と思い出されるのではないでしょうか?





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※一番右端の人物です。








「(当時のFBI長官J.エドガー)フーバーは、


 (ウォーレン)委員会に対し、


 (リー・ハーヴェイ)オズワルドについても、


 (ジャック)ルビーについても、


 彼らの友人についても、


 弾丸についても、


 銃についても、


 ことごとくウソをついていた!」


         【ヘイル・ボッグズ】






元々委員会に、FBIが提出する証拠に納得がいっていなかった上に、委員会の重要なメンバーの電話がFBIによって盗聴されていた事実を知った氏は、猛然とFBIを非難しました。



非難は当時FBI長官だったフーバーに集中し、議会演説でフーバーを無能な老害者ときめつけ、その辞職を迫りました。



各界の有力者や権力者のスキャンダル収集が趣味だったことから、永年にわたって「アンタッチャブル」といわれていたフーバーに対して、面と向かって批判したのはケネディ兄弟以外では、氏のみで、当然、議会の席上で辞職を迫ったのも、後にも先にも氏一人でした。



下院でも雄弁家として知られた氏の演説は説得力があって、法を守るべきFBI自身が法を無視し、人権を抑圧していると言い放ちました。



本記事冒頭の言葉は、その時の演説からの抜粋となります。



この演説の後、政界に、「ボッグズは重度のアルコール中毒患者である」といった噂が流されました。



当然、フーバー率いるFBIが流したものだと言われています。





そしてボッグズの乗ったアラスカ・インターエア社の飛行機が消息を絶つのは、その一年後のことでした。




ボッグズが存命であれば、下院議長は確実といわれていた人物でしたし、彼が生きていれば1977年下院に設置された「暗殺問題調査特別委員会」も、五年は早く開かれていたであろうと言われていますし、もしかしたら、彼が陣頭指揮を執って、あんな「暗殺問題調査特別委員会最終報告書」のような歯切れの悪い結論は出されなかったのではないでしょうか。







1973年、第2次ニクソン内閣のインディアン問題委員会に、ローラ・バークトという女性が起用されました。



この人は、別にインディアンの専門家ではなく、多くの人が首を傾げたそうですが、何を隠そう、この女性こそ、ボッグズが乗って遭難した飛行機の持主であるアラスカ・インターエア社の社長夫人だったのです。



因みにウォーレン委員会の7人中5人がニクソンにつながっていて、しかも、その15人の専門スタッフ(関連資料を分析したり、証人を選んだりする実務スタッフ)においても、実にその12人までが、何らかの形でニクソンにつながっていて、その内の多くが、ニクソン政権で、色々な政府委員会の委員長や委員などに任命されているのです。






いあぁ〜、偶然って本当に恐ろしいものですね(^。^;)





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posted by 大塚陽一 at 16:22 | Comment(0) | TrackBack(0) |     ・消された?関係者
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