一緒に捜してたものなら
あった気がする
かざらぬ愛を
素顔の愛を
本物の愛を

【尾崎豊「誰かのクラクション」より】
当記事は、「
尾崎とボク・・・その一」と「
尾崎とボク・・・その二」の続きになりますので、ぜひ、二つの記事をご覧いただいてからお読みください。
さて、「
尾崎とボク・・・その二」で、尾崎豊が気になりだして、その後喫茶店を期間満了で辞め、職探しをしながら尾崎豊のCDを中古で安く買おうと、中古レコード屋めぐりをする日々を送っていました。
ちょうど7月に入って暑さ真っ盛りになってきた頃、イトコから「BBQをするんやけど、予定してた人数から人が足りんくなったけん、来てくれん?」と連絡がありました。
急な話だったので、どうしようかと迷ってましたが、これも何か意味のあることにつながっているかもしれないと思い、買い揃えたばかりの尾崎のCDを車に積んで、歌詞がうろ覚えのままながらカーステレオから流れる尾崎の歌声に合わせて歌いながら、BBQの会場である東区の海岸に向かいました。
そこで、運命の出逢いというものがありました。
はい。
そうです、妻とはじめて出逢ったのが、この時でした。
えりいも、私と同じで急に人数あわせで呼び出されたクチだったそうです。
焼き担当してた、後に妻になる、えりいが「何か焼こうか?」と聴いてきたので、「あ、玉ねぎお願い♪」と頼んで、焼きあがるまでの間と思って海岸に行き、ちょうど焼きあがる頃合を見計らってコンロに帰ると、ちょうどお願いしていた玉ねぎを頬張るえりい(^ー^;)
「いや、ちょうど食べごろの時に帰ってこんからぁ〜!」と、えりい。
「いや、ちょうど帰ってきたやん」(^^;)と、私。
「ごめん、また焼くから」
「うん、うん、ありがと♪」
と、いうくだりを三回は繰り返しましたね、はい。
まあ、これでお互いに強烈に印象に残ったようです(^ー^;)
・・・さて、その後、色々とあってえりいと夜更けまで話をしたりしましたが、その時思ったのは、「ああこの人が俺の智恵子かも・・・」ということ。
「智恵子」というのは、
高村光太郎の妻で、その愛をテーマとした詩集「智恵子抄」が少年時代から大好きだった私は、すごく影響を受けて、光太郎智恵子のような夫婦になりたいと思い、自分にも光太郎に対する智恵子に匹敵する女性との出逢いを夢想していたものです。
それが、えりいかもしれないと、なんとなく感じたんです。
月明かりに見るえりいの横顔に、ね。
まるでかぐや姫の横顔のようでした。
で、翌朝酔い覚めにラーメン食べて帰ろうか?ってことになって、東区の先から
元祖長浜屋まで車を走らせてラーメンを食べに行きました。
で、ラーメンを待っている間に、お茶を注いだ湯飲みに浮いていた茶柱・・・それを見て確信しました!
(やっぱりだ!)
(やっぱり、えりいが俺の智恵子だ!)と。
・・・そして、今日に至るわけですけど、今回のエピソードが、どう尾崎とボクになるのかというと、ちょうど行き帰りの車で聴いていた尾崎の「誰かのクラクション」といううろ覚えの曲が、えりいと逢っている間ずっと私の頭の中で鳴り響いていたので、どうしても今でもえりいの事を思うとBGMは「誰かのクラクション」なのです。
これを境に、強烈に尾崎も好きになってしまいました。
もちろん、窓ガラス壊して回る「卒業」と盗んだバイクで走り出す「15の夜」以外・・・ですけどね(^^;)


posted by 大塚陽一 at 13:13
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