2015年02月11日

建国記念の日とはこれ如何に?





A thousand years of happy life be thine!

Live on, my Lord, till what are pebbles now,

By age united, to great rocks shall grow,

Whose venerable sides the moss doth line.




皇祚連綿兮久長

万世不変兮悠長

小石凝結成巌兮

更巌生緑苔之祥





我が君は

千代にやちよに

さざれ石の

巌となりて

苔のむすまで









君が代







世界中のほとんどの国で、もっとも記念すべき日は独立記念日か建国記念日だといわれています。

たとえば、アメリカなら7月4日が独立記念日ということを、ほとんどの国民が知っていて、国をあげて「ハッピーバースデー!アメリカ!」とお祝いするのですが、日本の建国記念日を知っている日本人は全体の20パーセントしかいないといわれています。

しかし、独立記念日でもなく、革命記念日でもなく、静謐なるままに建国記念日を祝える国は、実はそう多くは存在しません。



例えば、中国は国慶節といって、蒋介石の中華民国との血みどろの内戦の末に大陸で勝利した毛沢東が、中華人民共和国の成立を、天安門で宣言した革命記念日に当たります。

上記したアメリカの独立記念日も、18世紀後半に、大英帝国の植民地だったものを戦争によって勝利し、独立を勝ち取ったことを記念するものです。

独立を記念する日があるということは、それまで隷属させられていた歴史があるということで、革命を記念する日があるということは、それまでの統治が不当で理不尽なものであったということになります。

そのどちらも歴史的、社会的な断絶、怨念や復讐といった冷たく暗い陰湿なものを感じさせられ、我々人類が希望する、人々を絆でつなぎ、歴史を綿々と紡いで行くといった成熟した国家社会像は連想できません。





それでは、我が日本国はどうかというと、上記した例からいうと「建国記念日」が最も記念すべき日となるでしょう。

これは、初代神武天皇が2675年前に即位された日を記念したもので、この日以来、わが国は一度として国家が滅んだことも、革命によって転覆された歴史もないということになります。



法律では「建国記念の日」と名付け、「政令で定める日。建国をしのび、国を愛する心を養う」とあります。

「建国記念」と「日」の間に「の」が入ったのは、もともとそれまでは紀元節として祝われていたものが敗戦後廃止されたままになっていたものを昭和23年に復活させようとする動きに対し、旧社会党が「神武天皇即位の年月は歴史的科学的根拠がない」「神武東征がシナ事変や大東亜戦争に利用された」「偏狭な国家主義思想の強制となる」と反対していたことに対し、「の」を一字挟み込むことで「建国されたという出来事そのものを記念する」という解釈(?)をさせることで、なんとか復活できたというものなのです。



さて、古来より日本人が伝えてきた建国の歴史を、科学的でも合理的でもなく、神話的だというだけで国民が祝うに値しないとする考えはいかがなものでしょうか?




神武天皇の東征の物語や、即位に関しての内容はウィキペディアなどに譲るとして・・・




神武天皇が大和を平定できなければ日本は産声をあげることが出来ませんでした。

その神武東征を記した日本書紀も古事記も、後世に描かれた物語ですが、我々日本人の始点、ルーツを、このような神話に求めることは、科学的でも合理的でもないのでしょうが、実は逆にとても幸せなことなのではないでしょうか?

少なくとも革命とか独立戦争などといった血塗られた歴史よりも。

そう思うのは私だけでしょうか?





冒頭で、「初代神武天皇が2675年前に即位された」と書きましたが、これは「皇紀」といって、我が国独自にして固有の紀元であり、初代神武天皇が即位された日を起点にします。

つまり、今年は皇紀2675年となります。

西暦に直せば、神武天皇即位は紀元前660年となり、これはつまり2675年の間、この日本では国家にも歴史にも断絶がないのです。

アメリカ合衆国の歴史は240年足らず。

オーストラリアは114年。

中国にいたっては、わずか66年しかないのです。

よくいう「中国4000年の歴史」とは、様々な勢力が入り乱れた征服と抑圧、虐殺、国家転覆と粛清の繰り返しの分断された歴史であって、日本人がイメージするような天皇を中心とした連綿と続く継続的な歴史とはまったく異質なものなのです。





さて、ここで、唐突ではありますが、昨日非常にステキな動画をユーチューブで見たので、皆さんにも御紹介したいと思います。

我々の国歌である「君が代」。

当記事の冒頭でも紹介していますが、この意味を私たちはあまり分からずに、これまで歌ってきたのではないでしょうか?

この「君が代」の意味を解説されている動画です。

ちょうど、「建国記念の日」に紹介するべきだと思い、張りました。

是非ご覧下さい。










いかがでしたか?

今日は「建国記念の日」。

この日は、日本人という世界的にみても稀有で貴重な物語の始まりの日であって、私たちが今を生きる根拠や意義を、国産みの神話に偲ぶ日なのではないでしょうか?



そして、この物語をハッピーエンドにするのか、バッドエンドにするのかは、私たち一人ひとりに委ねられているのではないでしょうか?






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posted by 大塚陽一 at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ

2015年01月01日

皇紀弐仟六佰七拾伍年 平成廿七年 あけましておめでとうございます。





罪あらば我を咎めよ天津神

民は我が身の生みし子なれば













皇紀弐仟六佰七拾伍年 平成廿七年になりました。

皆様に、新春のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願いいたします。





さて、このブログにお越しいただいている皆様には、元旦の早朝より、畏くも今上陛下が出御あそばされ、我々国民や国、ひいては世界のために、四方拝を行われていることをご存知だと思います。



以前のブログ記事でも触れたとおり・・・





「四方拝」は皇室行事で、平安時代の嵯峨天皇の御世に始まり宇多天皇の御世に定着したそうで、旧暦元旦の寅の刻(午前4時ごろ)、天地四方の神霊、先代天皇陵の方角を拝し、その一年の国家国民の平安と豊穣などを祈願するもの。

大東亜戦争終結までは国家行事として行われていましたが、その後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、国家とは切り離されて皇室のみの行事とされました。







数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、天皇陛下が御自ら行われることになっています。

そのため、御代拝(ごだいはい)(皇太子などが代役を務められること)が認められません。

御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(天皇陛下の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となります。

また、天皇陛下が元服(げんぷく)を迎える前(ご成人に達していない場合)は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(天皇陛下が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。





四方拝の様子が記されている「江家次第(ごうけ・しだい)(著者は大江匡房で全21巻(現存19巻)からなっている平安時代後期の有職故実(ゆうそくこじつ)書。因みに有職故実とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究することをいいます。当時は、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ名残から、現在も深い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのです。)」という、平安時代の儀式書によると、四方拝での呪文は、次のようなものだそうです。






賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ)

毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ)

毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ)

毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ)

五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ)

五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ)

厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ)

萬病除癒、所欲随心、急急如律令。






ここで、注目したいのは、「我が身を過し度せよ」という部分です。


「この世に起こる罪障から私や国民を守ってください」ということではなく、「この世に起こる罪障のすべて引受けられ、我が身を通して悟りへ至らしめん」という意味です。



我々は、常に難事や困難を避け、障害を排除しようと安易に考えますが、陛下はこの世に起こる罪障をすべてお引受けあそばされることで、身を挺して我々を護ると同時に、その罪障の起こる意味、意義を我々にお聡しいただいているということになります。



当記事の冒頭のお言葉は、大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。

御身を害しようとするものでさえ、護ろうという御心。

御自身に対して相手がどう思い、どういう行動をとろうと陛下には関係なく、すべての国民をご自分の子のようなお気持ちで愛され、導かれる御心なのですね。




我国には現在、宰相である内閣総理大臣をはじめとして多くの大臣が存在します。

かつて国政を預けられた氏族を大臣(おおおみ)と呼んだことから来ていますが、現在の政(まつりごと)は神意に則ったものとは程遠い状況ではないでしょうか?



最後に、今上陛下が本年の元旦に宮内庁を通して文書であらわした所感を全文御紹介します。






昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。



また、東日本大震災からは4度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。

昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。



本年は終戦から70年という節目の年に当たります。

多くの人々が亡くなった戦争でした。

各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。

この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。



この1年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。








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2014年09月23日

敬老の日





今の世の中は



"若さ"と

"速さ"と

"強さ"にしか価値を置いていないから、



老人の立場がなくて、



みんな実年齢より若ぶって見せる。





せっかく六十歳から夢のパスポートを



手に入れられるというのに……。





なんというか、今の人は幼いんですね。





自主性がない。










杉浦日向子










「敬老の日」は、日本独自の記念日であり祝日です。

高齢者を敬うことは、何も儒教などにその根拠や起源を求めなくとも、日本人社会の知恵として古来より当たり前のこととして存在していました。



しかし、それを国民の祝日として定められることになったのは、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長と山本明助役が昭和22(1947)年に提唱した「としよりの日」が始まりだそうです。



「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と農閑期に当たり、かつ気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いたそうです。

これが昭和25(1950)年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がりました。

その後「としより」という表現は良くないということで、昭和39(1964)年に「老人の日」と改称され、昭和41(1966)年に国民の祝日「敬老の日」となったそうです。




五節句のひとつである9月9日の重陽(ちょうよう)と主旨が類似しています。

重陽とは、旧暦の9月9日で、聴くが咲く季節に長寿を祝うことから別名「菊の節句」とも言われていました。

すでに平安時代には大陸から伝わっており、菊花酒を飲む風習がありました。

現在でも皇室園遊会として行われています。





菊といえば、第82代後鳥羽天皇は菊花の意匠を好まれ、自ら刃紋を入れた刀に十六弁の「菊紋」をいれられました。

これが天皇家の家紋の始まりといわれています。











さて、今日の記事の冒頭の一言は、江戸風俗や浮世絵の研究をライフワークとしていた杉浦日向子さんの言葉ですが、「六十歳から夢のパスポートを・・・」というくだり、どういう意味なのか、これも杉浦女史の著作「お江戸風流散歩道」から、ちょと長くなりますが、引用したいと思います。










江戸で皆が心底祝ったのは歳を重ねること、長寿です。



江戸では、年長者をとても頼りにし、いたわりました。



「亀の甲より年の功」、机上の空論より長年の経験が重んじられた時代でした。





江戸には「老後」という言葉はなく「老入れ(おいいれ)」といい、前向きな老境を示しています。

まず四十歳になると「初老」といい、入門者。

以後「五十の賀」(中級者)を経て、六十歳にして老年の「成年」である「還暦」を迎えます。

六十年で、暦が一巡して元に還ることからそう呼ばれ、本卦還りともいいます。

還暦からは、晴れて隠居道楽、まっさらな人生のスタートです。

それを祝い、赤い手作りのちゃんちゃんこや頭巾を身につけます。

これは新生の意を込めて「赤ちゃん」の格好をするわけです。

還暦の祝いでは、赤ちゃんに許されることは何でも認められました。

欲しいものをねだったり、好きな場所を再訪したり、その人が望むことをできるかぎりかなえてあげます。



還暦からが、人生で一番楽しい時間というのが江戸の考え方ですから、以降はお祝いが目白押しとなります。

七十歳は「古希」、唐の詩人杜甫の「人生七十古来希なり」の言葉が由来です。

七十七歳は「喜寿」、喜のくずし字が七十七と書くからです。

八十歳が「傘寿」、傘の略字が八十だからです。

八十八歳の「米寿」も、「米」を分解すると八十八となることから。

九十歳が「卒寿」、九十を「卆」=「卒」とします。

九十九歳は、「百」の上の一を引くと「白」になるから「白寿」。

それぞれのお祝いの名のつけ方も酒落てますね。



いずれも、堅苦しい決まり事はありません。

江戸では、生産を担う若い世代を重要視する農耕中心の地方とは違い、熟練の技が要求される職人の街であったため、経験豊富な知恵者としての年長者が尊敬されましたから、ことさら畏敬の念と親しみを持ち、地域社会がこぞって長寿のお祝いをしたのです。








はい。


ということです。




百歳は、最も上まで行き着いたという意味で「上寿」、長寿を上中下に分けて、八十歳は「中寿」、六十歳が「下寿」といいます。



また、「茶寿」というのもあって、「茶」の字を分解すると、草冠で十が二つ、あと八十と八となり、合計すると百八になるので、百八歳の喜びの祝賀になります。

百八という数は煩悩の数でもあるので、煩悩を去った清らかな悟りの境地に入る年齢という意味も込められているとか。



また、「皇寿」という百十一歳の岩井がありますが、これも皇の字を分解して、白は九十九、王は十二より成るので、合わせて百十一歳ということですね(^^;)




日本の祝賀は、もじったものばかりですが、表現に遊び心というか、ユーモアというか、ファジーさを大切にして、決め付けず曖昧さを大事にしながら、和やかに成るような工夫を、いつも感じます。



素敵な文化ですよね(^▽^)







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2014年04月29日

昭和の日





雑草という草はないんですよ。



どの草にも名前はあるんです。



そしてどの植物にも名前があって、

それぞれ自分の好きな場所を選んで

生を営んでいるんです。



人間の一方的な考えで、

これを切って掃除してはいけませんよ





【入江相政「宮中侍従物語」より昭和天皇のお言葉】






本日四月二十九日は昭和の日です。



昭和の日はもともと昭和天皇の誕生日で、昭和時代は「天皇誕生日」でした。



昭和六十四年一月七日に昭和天皇が崩御され、一旦は「みどりの日」という祝日に制定されました。

「みどりの日」は、法律では「自然に親しむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心を育む」べき日とあり、昭和天皇の生き物、生命への強い愛情・関心・生物学研究の熱心さを映してという意図が、天皇誕生日からの変更にはあったようです。

その後、「昭和の日」と改称されました。





第百二十四代昭和天皇は、大正天皇の第一皇子でした。

明治天皇は皇子のご成長に心を砕かれ、皇子の学習院入学にあわせて、院長に陸軍大将乃木稀典をあてられるほどで、この頃から昭和天皇は生物学に傾注されるようになったそうです。




昭和時代を語る上で、必ず触れられる「戦争」について語るのは、今回は避けますが、もはや対米英蘭戦争が不可避となった昭和十六年九月六日の御前会議におかれても・・・


四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ちさわぐらん


・・・という明治天皇御製の短歌を読み上げ、最後まで戦争回避へのご意思を示されました。







しかし、残念ながら戦争は避けられず、緒戦こそ勢いがありましたが、戦局はどんどん不利になっていき、最終局面では日本の都市という都市が米軍の戦略爆撃で破壊され尽くしました。




昭和天皇は東京大空襲の戦禍に終戦を決意され、昭和二十年八月十五日の「玉音放送」にあたり侍従長の藤田尚徳に、「誰の責任にも触れず、権限も侵さないで、自由に意見を述べる機会を与えられた。だからあらかじめ考えていた所信を述べて、戦争をやめさせた」と打ち明けられました。



戦後は九年かけて全国を巡幸されました。

当初、マッカーサーやGHQは、天皇巡幸にどれだけの効果があるのかと、嘲笑していたそうです。

しかし、彼らの予想に反し、行く先々で昭和天皇は大歓迎を受け、人々に勇気と希望を与えました。

昭和二十二年には、アメリカ軍の原爆投下後はじめた広島を巡幸され、「七十年間は草木も生えないだろう」という米国科学者の見解をものともせず、力強く復興の道を辿る広島市街の姿に感極まられ、『家が建ったね』とのお言葉を静かにつぶやかれたそうです。





昭和六十三年に入り病臥されましたが、ご無事を願う記帳は一千万人にものぼりましたが、昭和六十四年一月七日、昭和天皇崩御、元号は「昭和」から「平成」へと変わりました。





ちなみに祝日法改正案の趣旨によると、今日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ための日と制定しているそうですが、まぁ難しく捉えずとも、昭和の日という日を祝うことは、われわれ平成を生きる日本人それぞれが自身の過去と現在、未来を祝うことになるのではないでしょうか?







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2014年04月15日

日本人は、ひとまねこざる!?





モノマネから出発して、

独創にまでのびていくのが、

我々日本人のすぐれた性質であり、

たくましい能力でもあるのです。










【野口英世】







今回は、日本人は「モノマネ上手」と、好ましくないニュアンスで、よく世界中から言われている点について考察したいと思います。



日本人は、ただ、猿真似、つまり、自分で創造せず、既にあるものを取り入れ、労さずにその恩恵を受け取ろうとする厚顔無恥な存在なのでしょうか?


「ひとまねこざる」のように。

「おさるのジョージ」のように。











以前の記事で、将棋とチェスのルール性における民族性の違いを紹介しました。

この将棋、これも実は日本原産のゲームではありません。

古代インドから伝わったものらしいですよ。



ただし、ただ取り入れて真似をしただけではなく、日本独自のルールとして、受け入れざるものは受け入れず、受け入れるべきものは、受け入れる方法で、独自の将棋というオリジナル・ゲームを創造していったと言えます。




なぜならば・・・

世界中に、将棋と同じようなものが沢山ありますが(昔のものを含めると100以上あるそうですゾ)敵の駒を自分の駒として再び使い、戦死者が皆無なのは、他にありません。



チェスにしてもそうですが、ルーツを同じくすると言われている、チャトランガ(インド)、象棋 (中国)、シャタル(モンゴル)、マークルック(タイ)も皆そうです!



戦死者が出ないのは日本の将棋だけだそうです。



日本人は、戦死者が出ないようなルールに変更していったんですね。






永世棋聖の米長邦雄は、NHK人間講座の「大局を観る」で、こうおっしゃっています。






将棋を見直してみれば、電気を使わずに木の素材だけを用いたところといい、礼に始まり礼に終わる作法といい、取った駒を再び使うことができるルール(つまり戦死者のいない戦い)といい、負けたほうが潔く「負けました」と言ってはじめて勝負が決まる終わり方といい、すべて現代の日本では失われた、古く美しいものから成り立っていることに気づきます。



将棋とは日本の伝統文化のみならず、今や変わり果てた日本の姿を映し出す鏡でもあることに、目か ら鱗が落ちるような気持ちになったものでした。


(中略)


古代インドで発生したゲームが、時代と地域を経て日本に伝わり、思えば日本の将棋の歴史は、一千年以上になるわけです。



これほど長い時代にわたり人々に愛好され、連綿と受け継がれれば、すでに将棋は一つの伝統文化であると言ってよいと思います。












俗に言う「中国四千年の歴史」というやつですが・・・

この「中国文化」とやらが、日本文化のルーツのようにいわれていますが、これに関しても、もちろん中国大陸からの影響を受けていますが、すべてを猿真似している訳ではありません。



合わない部分や、納得できない事は、断固として拒否してきました。





日本が導入を拒否した文化の中に、中国の三大奇習がありますが、その中の宦官纏足を紹介します。




気が重いですが・・・

宦官とは去勢した男性のことですが、これは中国だけの風習ではなく、実はかなり広い地域(エジプトやギリシア、ローマなど)でも、行われていたようです。

宦官は皇帝の身の回りの世話をするのが役目で、日本でいうところの大奥にも出入りする訳で、間違いを起こしようがない男性を作り上げてしまったということです。



ちなみに、日本では同じく間違いを起こさないようにということで大奥の仕事は、女性が担当していました。



普通に考えたら誰だって、そうしますよね。





日本人だけでしょうか?





男性を去勢するということ自体は、宦官のほかに刑罰としてもあったようで、史記を著した司馬遷がこの刑に処せられました。








次に纏足です。

豚足ではありません。

ふざけてごめんなさい。




纏足とは・・・

幼少の頃から包帯を巻いて女性の足の発育を止めるものです。



纏足によって足の成長を止められた成人女性はヨチヨチと腰を振って歩くことになり、男性の目を楽しませました。



又、お囲い者にした時の逃亡防止にもなっていました。

こういう風習が何百年も続くと、それが次第に当たり前となり、女性自身、纏足はするものだと思うようになり、男性は日頃包帯で隠されている足に異常なエロティシズムを感じるようになったようです。








また脱線しますが、他にも広東では、人為的に目をつぶして盲目とした「盲妹」と称する売春婦を売り物にする娼館があり、幼い頃に、美人になりそうな女の子を買ってきて、目をつぶして育てていたそうです。


視力を奪われると、それだけ集中力が増して歌舞音曲などの芸が上達するということと、目が見えないからやれ「服が欲しい」の「簪を買ってくれ」だのというおねだりをしないからだそうです。


芸事を習得している「盲妹」はいわゆる高級娼妓ですが、通常の売春婦は前歯を上下、抜かれていたものが多かったそうです。


もちろん、しゃぶらせるためですね。


この歯茎でしゃぶられた時の気持ちよさは、何とも表現の仕様がないほどだそうですね。





また、常に香草などを口に含ませた美少女をはべらしておいて、痰を吐きたくなったら彼女たちに口をあけさせ、その中に吐く、という人間痰壺を常備していた金持ちもいたそうです。


これらは、まさに中国独自の奇妙奇天烈な風習で、他を命のないただの道具とでも思わないとできないことです。


その昔、日本にもお金のために身売りをした女郎や飯盛り女といった、娼婦たちがいましたが、彼女たちは、身柄を拘束されてはいても客の好き嫌いなど、ある程度本人に色々な決定権を委ねていました。

そんな日本人には、思いもつかない風習だと思います。





他にも辮髪や、人が人を食うカニバリズムも、中国の根強い風習ですが、いずれも日本は、断固として受け入れていません。






逆に、受け入れたものに関しても、実はただの猿真似ではありませんでした。



例えば漢字。

中国との国交のため、漢字自体は利用していますが、日本独自のカタカナや平仮名と組み合わせ、今風に言えば「ハイブリッド」することによって、日本の文字文化というものが誕生しました。


日本語は、漢字と仮名の「ハイブリッド」といいましたが、文字の発音も違うし、主語、述語、目的語の配列もまったく違います。


そして、仏教や、儒教、律令制なども取り入れていますが、いずれにせよ、「ハイブリッド」つまり日本独自の文化に和風化しています。





外来文化を主体的に取り入れて、それより数段高い段階に昇華させてしまう特徴を持っているということですね。




学ぶべきは学ぶ。


しかし、科挙・宦官・纏足・辮髪・人肉食の風習など、合わないものは断固として拒んできた先人のお陰で、他のアジア諸国に先駆け、近代化を達成できたということです。




さて、アジア経由でなく、西洋からの輸入品の第一に挙げられるのが、鉄砲です。


この鉄砲について考えて見る時、意外な日本人の姿というものが浮かび上がってきます。


その辺りは、以前の記事「世界随一の平和主義国家日本」で触れたとおりです。





鉄砲のあと、宣教師を迎え入れ、時の権力者たちは彼らを積極的に優遇していましたが、かといって改宗するわけでもなかったところを見ると、その目的は西洋先進国の科学技術の輸入が目的だったようです。




キリスト教も、好みの部分だけ和風化して取り入れていますね。


しかし、あの、クリスマスは恋人と過ごさねば的なニュアンスは、個人的に好ましくは思えませんが・・・




※当記事は拙ブログの過去記事を加筆訂正したものです。





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posted by 大塚陽一 at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ
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