2008年04月04日

花見、虫聴き、月見に雪見♪

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花見の季節ですね〜(^▽^)

皆さんは、もう花見しましたか?

私は、残念ながら、まだなんですよ〜(T0T)
福岡では、来週以降は天気が悪くなるので、今週が花見の最後のチャンスだとか、今朝のニュースで言っていましたから、今週末行きたいなぁ〜。




今日は、花見に関連した記事を紹介しようと思います。

古来より日本では、春の花見だけでなく、四季折々の風流を肴に、盃を重ねてきました。

私は、こういった風習に日本人の素晴らしさを感じます。




まず・・・

春は、花見ですね。

江戸時代中期から花見は盛んに行われるようになりましたが、江戸の花見には三種類あったようです。

最初は親友同士旧交を温める目的の「梅見」。

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次が「桜見」で、締めが家族団らんを味わう「桃見」でした。

この三つ全部をクリアして、やっと春が成就すると江戸の人々は思っていました。

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さて、その「桜見」の花見ですが、江戸の頃は桜を見に行くというよりも自分たちや自分のパフォーマンスを見せに行く晴れの舞台でした。

お揃いの着物をあつらえ、歌ったり踊ったり、一発芸や今で言うコントのようなことをしていたようです。

女性たちは「花衣」といって、年に一度の花見の為に艶やかな着物をあつらえたり、衣装を借りたりして、花よりも華やかに着飾っていました。

そしてそれを見るのが、男性にとっては花見の何よりの楽しみでした。



花見の席では、お見合いもよく行われていたようで、花見を縁に夏に縁を深めて、秋頃に祝言というおめでたい夫婦も多かった事でしょうね。


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さて、夏はと言いますと、六月から八月にかけて虫売りが養殖で孵化させた虫を売り歩きにかかります。

今と違って、カブトムシやクワガタは売られていませんでした。

なぜかというと、この頃の人々は虫の鳴き声や蛍の光を愛でていましたから、カブトムシやクワガタ等の鳴かない虫は、誰も買い手が付かず、商売にならなかったようです。

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この頃の一番人気は、やっぱり蛍だったようです。

次の人気がコオロギで鈴虫、松虫、キリギリスという感じでした。


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日本人は、ずっと虫に親しんできました。

隙間の多い日本家屋に住んでいたので、常に虫が室内に入ってきてしまうため、自然と虫と共存していく暮らしぶりが当たり前になっていて、虫を殺したりせず、話しかけたり、外に放り出したりしていました。

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鳴き声を愛でたと書きましたが、江戸の風流人は「虫聞き」を催したりしていましたし、一般の庶民も、虫の鳴き声や蛍の光を肴に酒をたしなむというのは、普通の風景だったようです。

(ちなみに、以前TVで観たのですが、虫の鳴き声を聞き分けられるのは日本人だけらしいですね。外人は、虫によって鳴き声が違う事が感知できないばかりか、雑音としか思えないそうです。可哀想ですね。人生損していますよね)
(^^;)

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posted by 大塚陽一 at 15:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ

2008年03月27日

人類の原罪とは?その1〜「失楽園」 エヴァとアダムと、ときどきサタン

あなたは聖書の「創世記」をご存知ですか?

そしてそこで語られる「失楽園」。

この「失楽園」に関するエピソードは、多くの方がご存知でしょう。

あのエロ小説やエロドラマの「失楽園」ではないですよ(^^;)



アダムやエヴァが楽園(エデンの園)を追われる話しです。



この話しには多くの示唆が含まれており、多くの気付きを与えてくれますので、今日はちょ、と長くなりますが、原文を抜粋いたします。

まずは読んでみて下さい。


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創世記3章

(略)

3:6
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。

女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

3:7
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

3:8
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。

アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、

3:9
主なる神はアダムを呼ばれた。

「どこにいるのか。」

3:10
彼は答えた。

「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」

3:11
神は言われた。

「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

3:12
アダムは答えた。

「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」

3:13
主なる神は女に向かって言われた。

「何ということをしたのか。」

女は答えた。

「蛇がだましたので、食べてしまいました」

3:16
神は女に向かって言われた。

「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。

お前は、苦しんで子を産む。

お前は男を求め/彼はお前を支配する。」

3:17
神はアダムに向かって言われた。

「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。

お前のゆえに、土は呪われるものとなった。

お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

3:18
お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。

3:19
お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。

お前がそこから取られた土に。

塵にすぎないお前は塵に返る。」

3:22
主なる神は言われた。

「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。

今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

3:23
主なる神は彼をエデンの園から追い出し、彼に自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

3:24
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。



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posted by 大塚陽一 at 15:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ

2008年03月14日

日本スイッチについて

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このカテゴリの記事内容は、もうひとつの拙ブログ『「大和」を以って貴しとなす』内の記事と併用することも多々あると思いますが、その辺りは、ご容赦下さい。

また、当カテゴリは、我々が日本を思い出し、我々に日本を取り戻すきっかけになることを目的として存在しております。



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「日本を思い出し、日本を取り戻す」というのは、どういうことかというと、これまでに日本は、一般的な歴史認識として、ざっくりと捉えると二度のコペルニクス的大転回を、望むと望まぬとに係わらず、経験しました。



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一回目は、幕末〜明治維新です。

それまでの鎖国政策の終焉〜開国〜国家の近代化を急激に推し進め、弱肉強食の激動の時代に植民地になることもなく、何とか近代国家の末席に迎えられました。



二回目は、大東亜戦争の敗戦です。

この時、日本は、これまで培ってきたアイデンティティのすべてを否定され、自尊心も根こそぎ奪われました。

この敗戦を、軍国主義や独裁者から日本人が解放されたと位置づける意見が多く見られますが、実は敗戦して我々が手にしたものは、「善悪を知る知識の実」でした。

そうです。

アダムとエヴァが、サタンにそそのかされてエデンの園を追われた「失楽園」よろしく、失楽園敗戦によって、我々は日本という楽園(アイデンティティなど)を失ったのです。



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振り返ってみれば、明治維新の時も、封建社会から解放され、西洋お得意のその場限りの合理化という「禁断の木の実」を得ましたが、当時の日本人は偉くて、これを元々あった日本の流儀と「ハイブリッド」してしまったので、本格的な失楽園には到りませんでした。

しかし、敗戦時は、これまで信じていた自分自身のアイデンティティを根こそぎ否定された状態で「善悪を知る知識の木の実」を得たので、今度は「右へ倣え」で、日本人全体が、工業化〜物欲主義に邁進してしまいました。



失楽園というのは、もちろん比喩です。

そのことも含めて、これからゆっくり分かり易く解き明かして行きたいと思いますが、まぁ、そんな難しいことを考えなくとも、歴史を紐解くだけでも、「何て日本人は、素敵な生き方をしていたのだろう」と感じずにはいられないと思います。



歴史は繰り返す。



我々は、今こそ、ご先祖様に学び、過去の英知を活かすべき時に在るのではないでしょうか?


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posted by 大塚陽一 at 14:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ

2007年09月06日

有徳の人(江戸時代の社会貢献=ボランティア)



食いつぶす



やつに限って



歯を磨き












江戸川柳より】








「江戸時代は、収益を直接社会に還元する社会貢献としてのボランティアは、普通に行われていた当たり前の事でした」と、前回の記事『近江商人の理念「三方良し」』で述べましたが、江戸の大商人・豪商と言われる人たちは、本当に当たり前のように自らの富を社会に還元しました。



確かに、江戸の初期には権力に取り入って稼ごうという商人も居ましたが、しだいに地域社会に利益を還元して、周囲の人々の支持を受ける方向に向かっていきました。



豪商が居ると、町そのものが栄え、商売がうまくいけば、うまくいくほど町が潤うので、大商人や豪商と言われる人たちは、みんなから尊敬されて「有徳の人」と呼ばれていました。





ほとんどの豪商は、とても慎ましやかで質素な日常生活を営んでいます。



食事はご飯と沢庵一切れくらいで、おかずが付くのは一日と十五日の「荒神様の日」だけという商家も珍しくありませんでした。



江戸時代のバブル期として有名な元禄年間の、町人のヒーロー「紀文」こと、紀伊国屋文左衛門。



吉原を全部買い切って豆の代わりに小判や金銀の粒を撒いたほどの彼も、「紀文の糠味噌(ぬかみそ)汁」と言われたくらい普段は質素に暮らしながら、人々のために橋を架けたり工事をする人たちに施しをしたりしていました。





町の掃除・防災・道路補修・捨て子や迷い子を町ぐるみで育てる際の養育費など、町政に使われる経費を「町入用」と呼び、地主や家主、町の商人がなっていた「町役人」が、これを支出していましたが、「町入用」への支出をケチれば、面子が丸つぶれになり、「儲けたら儲けただけ町のために使う」という姿勢がないと人々の信用が得られませんでしたから、富を持てば持つほど町のために色々と考えていたのが、当時の大商人でした。




TVの時代劇「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」、「必殺仕事人」など「お主も悪よのぉ♪」で御馴染みの「越後屋」というキャラクター自体がフィクションだということですね。


当時、あんな悪徳な大商人が居たら、町人たちから町を放り出されるか、居辛くなって店をたたんだのではないでしょうか?







まぁ、豪商だけではなく、江戸では他人のために何かをするのは特別な事ではなく、町で普通に暮らしていると、その生き方・暮らし方が、そのままボランティアになっていたと言った方が正確でしょう。



親の帰りが遅い家の子は、他家でご飯を食べるのが当たり前。



いたずらも度が過ぎれば、自分の子であろうとなかろうと雷を落とす。



同じ長屋の全員で、みんなの子供たちを育てていました。





おかずが余分に出来たら、お裾分け。



味噌や醤油が足りなくなれば、貸し借りしながら間に合わせます。



長屋には鍵がありません。



当然、開けっ放しで自由に出入りできました。



こういうと「だから日本人はプライバシーの感覚に疎い」と言われそうですが、






「お〜い!はっつあん居るかい?」



必ず声をかけ、



「おう、居るよ!へえんな」



許可がないと戸を開けないのが当たり前。



江戸時代のほうがよっぽど個人のプライバシーは守られていました。




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posted by 大塚陽一 at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本スイッチ
いつも、ご来訪ありがとうございます! またのお越しを、お待ちしておりま〜す(^▽^)/ 拙ブログ内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで記事の内容や感想を文章のみでは正確に伝えにくく、そのままだとかえって不誠実だと感じた場合、それを補足したいという点と、拙記事を通して、映画や音楽、絵画などの芸術、書籍、歴史への啓蒙と文化の熟成及び芸術復興を奨励したいという拙ブログの考えにより、 映画・音楽・絵画などの芸術や書籍などの学術研究・ゲーム等娯楽に対する敬意の姿勢で使用しております。 よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。 画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。 皆様のご理解とご協力のほど、何卒よろしくお願いいたします。